シャッターの誕生

シャッター誕生180年。
その歴史を継承し、
新しい時代にふさわしい
価値を創造していく。

当社の前身である三和シヤッター製作所が兵庫県尼崎市で設立されたのは1956年。それより約120年前、シャッターはヨーロッパで誕生し、19世紀の終わりには日本にも到来、やがて国産シャッターの時代が幕を開けました。そうした歴史を引き継ぐものとして、先達たちの足跡を振り返ってまいります。

シャッターの誕生

HISTORY TIMELINE

クラーク・バーネット社の
木片綴り合せシャッターと
鋼製シャッター

1837-1897

最初は木製。
鋼製シャッターが流通し始めたのは1880年頃。

19世紀における技術の先進地域であったヨーロッパで1837年に初めてシャッターとして考案されたものは、木片を綴り合わせたものでした。主として防犯を目的とし、ブラインドの代わりとしても用いられていたようです。その後、イギリスのクラーク・バーネット社により鋼製のシャッターが考案され、一般に使用されるようになったのは1880年頃。日本近代建築の先駆者である辰野金吾博士が設計、同社に製造を依頼し、1897年に完成した日本銀行本店に取り付けられたのが日本で最初の鋼製シャッターでした。

鈴木シャッター創業時のシャッター

1903

洋風建築のニーズに応えた鈴木シャッター。

この頃には国内でも洋風建築が増加、シャッターやサッシなどの輸入建築資材が用いられるようになりました。そうした資材を扱う「鈴木シヤタア工業」(後の鈴木シャッター。現在は当社グループ)を1903年に創設した鈴木富太郎氏は、辰野金吾博士との交流が伝えられています。また当時、国産第一号のスチール・シャッターも誕生しました。

クラーク・バーネット社の窓用シャッター

1905

防火シャッターの原型が誕生。

国産シャッター黎明期の1905年に、当時「大野シャッター」の大野正氏により特許申請が行われた「防火戸」は、人間の手を借りずにシャッター自体の重さで閉鎖し、火災の場合は人間が操作しなくてもシャッターが閉まる、現在の防火シャッターの原型をなす画期的なものでした。

明治36年2月、
特許出願された日本初のシャッター

1907-1923

世界を震撼させた大地震が
防火シャッターの重要性を高める。

アメリカ西海岸で1907年に発生したサンフランシスコ大地震による大火災は、シャッターの高い防火性能を証明することになり、一般市民のシャッターに対する認識にも大きな影響を与えました。さらに、1923年の関東大震災で発生した火災において、国産シャッターは防火能力・性能を大いに発揮し、建築界での存在感を高めることになりました。

大正14年建築金物商会発行
『鈴木式鋼鉄製捲揚防火シャッター』カタログから

1926-1932

白木屋火災を教訓に、建物内部に防火シャッター設置。

1926年、日本で初めてシャッターおよびスチールドアの耐火試験が当時の東京帝国大学営繕課の指導で行われ、その防火性能が評価されました。一方1932年、歳末の客で賑わう日本橋白木屋で火災が発生し、死者14名、重傷者21名を数える大惨事でした。これを契機として、シャッターは建物の開口部のみならず、建物内部にも設置することが法的に求められるようになりました。
もともとシャッターは「鎧戸」と言われるように防犯機能として使用されていましたが、これらの火災を契機に防火機能の役割として普及するようになりました。

その後、シャッターは大型建築物に設置される重量シャッターのみならず、
戦後には軽量シャッターが誕生しました。
また、当社をはじめ、現在につながる多くのシャッターメーカーが設立され、
シャッターは小規模な店舗や一般住宅にも用途が広がり、人々にとって身近な存在になっていきました。

シャッターはさまざまな災害から暮らしを守る社会インフラ

シャッターは、誕生以来180年を超える長い歴史の中で、当初の防犯という目的に加え、防火、防水、耐風など多様なニーズに応えて進化してきました。そうした先人たちのあくなき探究心と積み重ねられた努力や知恵の数々が、当社の製品に生かされています。 そして今日、社会は気候変動による自然災害の激甚化や巨大地震の発生など危機的な状況への対応を迫られています。当社は、これからの時代にふさわしいシャッターの新しい機能と付加価値を生み出し、さまざまな災害から人々の生活と命を守ることのできる製品をお届けしてまいります。

COLUMN

米国ガレージドアの歴史

1921年に誕生した革新的なガレージドア、それがオーバーヘッドドアです。

フォード社が売り出した自動車という「馬なし馬車」が世の中をガラリと変えたように、オーバーヘッドドア社の創業者であるC.G.ジョンソン氏は、自動車産業の集積地であったデトロイトで、天井に沿ってドアパネルが収納される「オーバーヘッドドア」を発明したことによってガレージドアの歴史を変えました。これまでは重厚で両開きのガレージドアが主流だったが、操作性が悪く、さらに積雪時は開閉できなくなったり、気候の影響を受けやすいものでした。彼は、ドアの試作品をT型フォードの背面に取り付けアメリカ国内を旅して回り、この革新的な製品を普及させました。さらに1926年には初の電動開閉機を発明し、その成功によってオーバーヘッドドア社の基礎を築き上げました。

1996年、三和グループの本格的な海外事業会社として仲間入りしました。

今日では、オーバーヘッドドア社は商業用、産業用、住宅用のガレージドアおよび開閉機をはじめ、多種多様な製品やサービスの総合ブランドとして知られています。1996年に三和グループの海外事業会社として仲間入りし、アメリカ国内に強力な販売代理店網を確立しているばかりでなく、5大陸50カ国に販路を持つ世界有数の建築資材サプライヤーのひとつとして成長を続けています。

上記は、社団法人日本シヤッター工業会(現一般社団法人日本シヤッター・ドア協会)が昭和53年に刊行した『シャッター100年の歩み』から抜粋して紹介しています。

全文については、こちらをご覧ください。
一般社団法人日本シヤッター・ドア協会サイト

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