Behind the Ribbon
~リボンが意味するもの~

オーバーヘッドドア社は、
その特徴の一つである
リボンディストリビューター・
ネットワークとともに、
100周年を迎えました。

オーバーヘッドドア社は、1921年、ミシガン州のデトロイトでC.G.ジョンソンにより創業されました。
100年にわたって、オーバーヘッドドアブランドは、専門技術と製品の質の高さ、そしてそのサービスの良さを誇ってきました。
創業者であるC.G.ジョンソンの努力により、設立当初から全国にディストリビューター(販売代理店)網を構築してきました。そこでのディストリビューターは、オーバーヘッドドア社のロゴの赤いリボンにちなんで、リボンディストリビューターと呼ばれており、「The Genuine. The Original (本物で、オリジナル)」というスローガンを掲げていました。
オーバーヘッドドア社の販売事業は、450を超えるディストリビューターのネットワークに支えられています。製品はもちろんですが、専門的な知識やプロフェッショナルなサービスもお客様に提供しています。
リボンで結ばれたオーバーヘッドドア社とディストリビューターは、ともに100年の歴史の中で、お互いの関係を築いてきました。
このリボンがどのように大切な役目を果たしてきたのか、もう少し見ていきましょう。

For Customers

信頼実績老舗ブランドであること

大手コンサルティング会社のマッキンゼーの調査によると、1958年にスタンダード・アンド・プアーズ500に掲載された企業の平均寿命は61年でした。それが現在では18年未満となっています。
1952年に、G. アラン‧マルステッドによってオーバーヘッドドアカンパニー‧オブ‧コートランドは正式に設立されましたが、マルステッド家とオーバーヘッドドア社の関係はそれよりもずっと前から始まっていました。
遡ること1883年、ジョージ・C・マルステッドは、ノルウェーのフレッケフィヨールで生まれました。1901年にアメリカへやってきてからは、ニュージャージー州のヴェローナで、建設業に長く従事していましたが、オーバーヘッドドア社の創始者であるC.G.ジョンソンと知り合い、1924年にオーバーヘッドドアカンパニー・オブ・ニューヨークを設立しました。

オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・ニューヨークは、オーバーヘッドドア社からライセンスを受け、セクショナルドアを製造販売していました。工場は、当初ニューヨーク州のカナストタにありましたが、1928年に州内のコートランドに移転しました。その後ジョージの息子のポール・C・マルステッドと、G. アラン・マルステッドもオーバーヘッドドアカンパニー・オブ・ニューヨークに入社し、マルステッド家は、40年にわたって、ニューヨークとニューイングランドでオーバーヘッドドアブランドのドアを販売してきました。現在では、アメリカ北東部の数多くの販売代理店が、マルステッド一族によって設立されているか、支援を受けています。

オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・ニューヨークの工場の様子と従業員たち(1928年夏)

オーバーヘッドドア社との提携が100年を迎えようとしている今、5代目が既に育ちつつあり、これからもリボンブランドの製品をお客様に提供していけることは、一家の誇りです。

For Distributors

名誉、一体感、絆

父が、リボンのロゴがついた
赤、黄、オレンジのストライプの
エルカミーノを運転して
道を走っているとき、
私たちは周りの子どもに、
「ぼくらは皆、
オーバーヘッドドアの一員だ」と
言うのが好きでした。

オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・サクラメントの従業員、メロニー・サン・フィリッポと、彼女のチーム、そして家族の話をしましょう。自分の仕事に誇りを持つ、ということに関して、彼女の話ほどいい例はないかもしれません。
この会社で育ったメロニーにとって、赤いリボンは大いなる誇りと家族の絆の証でした。
「私たちはよく父のオフィスで遊んでいました。オーバーヘッドドアのロゴのついたペンやパンフレットで、会社ごっこをして遊んでいたのです。父が、リボンのロゴがついた赤、黄、オレンジのストライプのエルカミーノを運転して道を走っているとき、私たちは周りの子どもに、『ぼくらは皆、オーバーヘッドドアの一員だ』と言うのが好きでした。
私たちは、お金がなくて他へ遊びに行けない土曜日に父のオフィスで遊ぶことで、仕事に関する教養を身につけていきました。

今は、同社のオーナー兼、マーケティング担当のメロニーですが、年に一回、全国のリボンディストリビューターが一堂に会し、新製品展示や研修、表彰などを行うリボンディストリビューター大会には、特別の思い入れがあります。
オーバーヘッドドアの大会のおかげで、他の子どもたちが聞いたこともないような場所に旅行へ行く機会に恵まれました。祖父や父が長年に渡り何度もステージに呼ばれ、表彰されるのを目にして、ベストを尽くすことの素晴らしさを学びました。人を大切にすること。自分の言葉を大切にすること。大会に参加していた人たちは、その精神を尊重していました。それは今も変わりません。

メロニーの夫で、会社のオーナーであり社長であるショーン・サン・フィリッポは、息子のローガンが入社するときにこう言いました。
仕事の場では、自分が会社の代表であることを忘れないようにしなさい。シャツの赤いリボンのマークのために働きなさい。赤いリボンには大きい意味があり、私たち自身そのものなのだよ。

この絆の精神は、この家族だけのものではありません。
アンソニー・アレンもこの会社で育ちましたが、「我々にはリボンの血が流れている」と語ります。彼は、現在、オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・サクラメントの営業担当を務めています。

「仕事の場では、
自分が会社の代表であることを
忘れないようにしなさい。
シャツの赤いリボンのマークの
ために働きなさい。
赤いリボンには
大きい意味があり、
私たち自身そのものなのだよ。」

For the Community

ビジネスのためだけではなく

この会社はこれまで、
地域社会に支えられてきました。
そして我々も、
今後何年にもわたって
その恩返しをしていく決意です。

オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・コロラド・スプリングスは、名誉ある国防長官雇用者支援自由賞にノミネートされました。これは、コロラド・スプリングスの警備隊と予備役軍を支援する、地元の販売会社の献身的な活動に与えられる名誉です。
オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・コロラド・スプリングスは、1957年の設立時から、毎年フードバンクやおもちゃバンクへの支援など、地域社会への貢献を続けてきました。
オーバーヘッドドアカンパニー・オブ・コロラド・スプリングスの現在の親会社であるDHペースの社長、スティーブ・パスクッツィは語ります。
「私たちは、すべての販売拠点で、その地元出身者をスタッフとして雇用しています。ナショナルブランドであると同時に、地域に根差した企業として営業をしているのです。コロラド・スプリングスは、地域での認知度の高い拠点の一つですが、この会社はこれまで、地域社会に支えられてきました。ですので、我々も、今後何年にもわたってその恩返しをしていく決意です。

リボンディストリビューターは、ただの販売代理店ではなく、オーバーヘッドドア社の、まさに要です。リボンは、100年の歴史ある会社から与えられた、承認の証であり、北米中のディストリビューターとの絆です。私たちは地域社会に支えられ、その恩返しをしていくと決意しています。それは、製品やサービスを届けることだけでなく、次の100年の明るい未来を共に築いていくことなのです。

詳しくは、以下のサイトをご覧ください。

https://www.overheaddoor100.com/blog

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