Chapter 01
暮らしの変化を見極め、新たな可能性に踏み出す
“神武景気”と呼ばれる好景気のもと、「もはや戦後ではない」とまで言われた1956(昭和31)年。
創業者の髙山萬司は、兵庫県の尼崎市三和大通り商店街の一角にあった「三和市場」近くに三和シヤッター製作所(以降、三和)を設立しました。
当時それまでの一般的なシャッターは「鎧戸」と呼ばれ、銀行や百貨店などの大規模建築物に設置する重量シャッターでした。対して軽量シャッターは、ブリキの波形をつなぎ合わせた形状であり、商店の板戸の代わりとして開閉が容易で便利なことから、軽便シャッターと呼ばれ、一般の商店や住宅にも広がり始め、支持を集めていったのです。
さらに、高度経済成長によって商業活動が活発化し、現金商売が増えたことで、防犯意識も高まりました。シャッターは、目に見える防犯対策としても、需要を急速に伸ばしていったのです。
また、製造業者からすると、軽量シャッターは比較的簡易な設備だけで生産できる商品。当時の大阪・神戸地区では、鉄工所や金物店などが相次いで軽量シャッターの製造販売に参入し、一大ムーブメントが起こっていました。
しかし、髙山萬司が着目したのは、流行そのものではありません。利便性が高く、防犯にも役立つシャッターは、今後も暮らしに欠かせない存在になる—— そう見据え、成長著しいこの業界へと踏み出したのです。
三和の創業は業界では後発でしたが、狭い店舗が数多く並ぶ地域では軽量シャッターの需要はまだまだ大きく、創業直後から注文を受けては取り付ける忙しい日々が続きます。後に髙山萬司は、ビジネスにおいて「天の時、地の利、人の和」が重要だと語っていますが、振り返ればこの創業時は、時代の流れと立地条件、そして人とのつながりに恵まれたスタートだったと言えるでしょう。
ただ、その歩みは決して平坦ではありませんでした。それでも髙山は苦労を物ともせず、資金を調達して設備投資を行い、工場を建設。関西以外の地にも商品を送り始めます。新潟県長岡市の丸大百貨店に納めたシャッターは、地方発送の第一号となりました。
この取引をきっかけに評判がひろがり、東京からも注文が舞い込みます。電話で受注すると、翌日の夕方には梅田から急行貨物でシャッターを積み込み、翌朝には汐留で受け取り、そのまま店舗へ。注文からわずか3日で取り付けまでを完了する対応は、大きな反響を呼びました。
この勢いを絶やすことのないように髙山萬司は自ら先頭に立ち、社員も懸命に働き続け、工場もフル稼働。こうした一つひとつの積み重ねによって、三和は尼崎の一工場から、全国へ安全と便利を届ける会社へと進化していきました。
Chapter 02
“ペンキ塗り不要”のシャッターを開発。後発でも、選ばれる理由を積み重ねる
東京での成功を受け、三和の名は徐々に全国へと知られていきます。中部地方、九州や北海道へも販売店・代理店の輪が広がり、代理店のなかった名古屋にも直営の営業所が開設されました。当然、注文は急増し、生産量の拡大が大きな課題となっていきます。
そこで三和は、1958(昭和33)年、大きな技術革新に着手しました。取り付け後に行っていた上塗り作業の手間を省くため、製作段階で焼付塗装ができるコンベアシステムを開発。見積もりの段階で色を選べる仕組みは顧客に歓迎され、「ペンキを塗らなくても良いシャッター」として大きな反響につながりました。さらに、シャッターのカーテン部分を構成するスラットの切断工程を改善。寸法に応じた柔軟な対応が可能となり、生産量は一気に拡大したのです。
三和は、従来は職人仕事とされてきたシャッター製造を、機械化を進めることで量産体制を確立。生産量の拡大に加え、品質の安定、コスト低減、市場に対する競争力のある価格設定も可能となりました。後発企業としてスタートを切ったものの、いつしか業界のパイオニアとして、一歩先を歩み始めていたのです。
Chapter 03
技術の向上が、暮らしの安心を広げていく
激動の創業期を乗り越え、急成長を遂げた三和は、1961(昭和36)年に創立5周年を迎えます。尼崎市民会館で式典を開催し、「よりよき発展のために」と題して、改めて創立の精神を明文化した「当社の方針」を制定しました。
一、当社は営利を目的として企業を営み、かつ社会的に有意義であることを前提とする。
一、当社はあくまでも技術水準の向上に努め、かつ速やかにその達成をはかる。
一、当社は従業員の生活安定に留意し、給与水準の向上に最善をつくす。
一、当社は真面目に働く者の同志的集団として、民主的に運営することを目標とする。
髙山がここで強調したのは、技術向上や従業員の生活安定、組織の在り方だけではありません。まず「社会的に有意義な事業」であることを、企業活動の前提に据えた点でした。 三和が全国に広めてきたのは、単なるシャッターという商材ではありません。経済成長のただ中で、シャッターを通じて安全で快適な暮らしとビジネスの基盤を支えてきたことこそが、三和の歩みだったと言えるでしょう。